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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1053号 判決 1978年10月11日

控訴人 小池貞水

右訴訟代理人弁護士 菊地一二

被控訴人 平岡芳明

右訴訟代理人弁護士 野島達雄

同 大道寺徹也

同 打田正俊

同 在間正史

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金五五万円及びこれに対する昭和五〇年一二月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。

この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和五〇年一二月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに第二項について仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の事実上・法律上の主張及び証拠の提出・援用・認否は、控訴代理人において甲第四、五号証を提出し、乙第一四号証の原本の存在及び成立を認めると述べ、被控訴代理人において乙第一四号証を提出し、右甲号各証の原本の存在及び成立を認めると述べたほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決二枚目表一行目に「三月九日」とあるのを「三月一二日」と、同五行目に「一〇月三日」とあるのを「一〇月三〇日」とそれぞれ訂正する。)。

理由

一  控訴人が昭和四八年三月一二日原判決添付別紙目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)について、被控訴人の父訴外平岡時三郎(以下「訴外時三郎」という。)から、売買を原因として、所有権移転登記(以下「本件登記」という。)をうけたこと、被控訴人が訴外時三郎の死亡(同年九月二二日)後、右売買は無効であり、本件不動産は相続により被控訴人の所有に帰したと主張し、控訴人を債務者として、本件不動産につき処分禁止等の仮処分の申請をし(長野地方裁判所飯田支部昭和四八年(ヨ)第二八号事件)、同年一〇月三〇日その旨の仮処分決定(以下「前件仮処分」という。)を得、更に同年一二月控訴人を被告として本件登記の抹消登記手続を求める本案訴訟(長野地方裁判所伊那支部昭和四八年(ワ)第四六号事件、以下「前件訴訟」という。)を提起したこと、控訴人が右仮処分決定に対し異議申立てをし、本案訴訟についても応訴し、昭和五〇年一〇月二〇日右いずれについても控訴人勝訴の判決があり、右各判決が控訴なく確定したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  控訴人は、被控訴人が控訴人を相手方として、前件仮処分を申請したこと及び前件訴訟を提起したことが故意又は重大な過失による不法行為を構成すると主張するので、以下検討する。

1  《証拠省略》によれば、本件不動産はいずれも、もと訴外時三郎の三女で、被控訴人の姉である訴外平岡久江(以下「訴外久江」という。)の所有であったが、同訴外人が昭和四八年一月一六日死亡したことにより、その父である訴外時三郎がこれを単独で相続したものであるところ、前件訴訟においては、被控訴人が前記のとおり訴外時三郎より本件不動産を相続したとして本件登記の抹消登記手続を求めたのに対し、控訴人は、抗弁として、「昭和四八年一月三〇日訴外時三郎及びその子である被控訴人ら兄弟姉妹と、訴外久江の内縁の夫であった訴外笹井重蔵(以下「訴外笹井」という。)との間で、協議の結果、訴外時三郎が訴外久江の遺産の処分、負債の整理を訴外笹井に委任し、残余の資産を訴外時三郎と訴外笹井とで折半取得する旨の合意が成立し、被控訴人が訴外時三郎の代理人として右合意内容を記載した委任状を作成し、訴外笹井に交付した。控訴人は、その後右のように正当な処分権限を有する訴外笹井から本件不動産を買受け、その所有権を取得したものである。仮に、訴外時三郎が被控訴人に対し本件不動産の処分に関して何らの権限を与えていなかったとしても、訴外時三郎の権利義務を相続により承継した被控訴人は、自己が訴外時三郎の代理人としてなした訴外笹井への委任の効果を否定することはできない。」旨主張し、これに対し被控訴人は、訴外時三郎は本件不動産の処分権限を訴外笹井に与えたことはなく、被控訴人に対しても本件不動産の処分に関し何らの権限を与えていなかったし、控訴人主張の右委任状は、被控訴人が訴外笹井の脅迫的言辞に耐えかねてその場逃れのために作成したものにすぎず、これによる被控訴人の訴外笹井への委任も無効であることなどを主張して控訴人の前記主張を争い、訴外笹井が本件不動産の処分権限を訴外時三郎から与えられていたか否かをめぐり、訴外時三郎から被控訴人、被控訴人から訴外笹井への各授権の有無を主要な争点として弁論及び証拠調べがなされたこと、審理の結果、長野地方裁判所伊那支部は、前記委任状その他の書証、証人笹井重蔵、同平岡美弘、同平岡タメヨの各証言及び被控訴人本人尋問の結果の一部を総合して、「訴外久江には、死亡当時金融機関等に多額の負債があり、一方遺産としては本件不動産があったところ、昭和四八年一月三〇日被控訴人、その妻訴外平岡タメヨ、被控訴人の弟訴外平岡美弘夫婦、姉訴外中原フサノらが被控訴人方に集まり、訴外久江と内縁関係にあった訴外笹井との間で、訴外久江の遺産及び負債の処理について長時間にわたり協議した結果、負債の返済及びそれに充当するための遺産の処分を訴外笹井に一任し、残余の資産を訴外時三郎と訴外笹井とで折半取得する旨の合意に達し、被控訴人が訴外時三郎の代理人として右合意内容を記載した委任状を作成して訴外笹井に手渡したこと、その後、被控訴人は、訴外笹井から本件不動産の登記手続に必要な書類として訴外久江の除籍謄本、訴外時三郎の戸籍謄本、住民票抄本、印鑑証明書を要求され、これを訴外笹井に手交又は送付し、また、昭和四八年二月中旬頃訴外平岡美弘、同中原フサノらと共に訴外久江が居住していた長野県駒ヶ根市を訪れ、訴外笹井と共に訴外久江の負債の明細を調べ、本件不動産の価格の見積りをしていること、訴外笹井は本件不動産を控訴人に売却し、その代金で訴外久江の負債を弁済したこと」などを認定し、右事実によれば、被控訴人は、訴外久江の負債の返済に充当するため、本件不動産の処分を訴外笹井に委任したものと認めることができるとし、かつ、訴外時三郎は当時八三歳の老令で、老衰のため病臥しており、被控訴人夫婦が引取って世話をしていたこと、被控訴人が同訴外人の実印を預かっていたことのほか、前記協議のなされた状況に照らし、訴外時三郎は本件不動産の処分及び負債の返済について被控訴人に一任していたものと推認できるとして、控訴人の前記主位的抗弁を認め、証人中原フサノの証言及び被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は前記証拠との対比により採用できないとし、更に前記委任状が訴外笹井の強制によるものであって、被控訴人の訴外笹井への委任は無効であるとの主張をはじめとする被控訴人の主張をすべて排斥したこと、右の争点及び裁判所の認定、判断は、前件仮処分に対する異議申立事件においても同様であったことが認められ、以上の認定に反する証拠はない。

2  ところで、仮処分決定が、その被保全権利が存在しないことを理由に当初から不当であるとして取消された場合において、右決定を得てこれを執行した仮処分申請人に右の点について故意又は過失(控訴人は重大な過失をいうが、単なる過失で足りると解される。)があったときは、右申請人が相手方の被った損害(右仮処分決定の執行それ自体によって被った損害のほか、相手方において右決定に対し異議申立てをし、これを追行するのに要した弁護士費用も含まれるものと解すべきである。)を賠償すべき義務を負うことは当然であり、本件におけるように仮処分決定が異議手続において取消され、あるいは本案訴訟において申請人敗訴の判決が言い渡され、その判決が確定した場合には、右申請人において当該処分申請に出るについて相当な事由があったことを立証しない限り、右申請人に少なくとも過失があったものと推定し、相手方の被った損害を賠償させるのが公平の理念に合致するものというべきである。

一方、訴を提起した者が敗訴判決をうけた場合の不法行為責任の成否については、民事訴訟は、一定の権利ないし法律関係の存否に関して紛争が生じたときに、これを解決する手段として設けられた公の制度であって、右制度の建前からすれば訴を提起した者が結果的に敗訴の判決をうけ、それが確定したとしても、そのことから直ちに当該訴の提起が故意又は過失による不法行為にあたるとして、これにより相手方に生じた損害を賠償すべきものとされるいわれのないことは明らかであり、この場合には、提訴者が自己に権利のないことを知りながら相手方に損害を与えるため、又は当該紛争解決以外の目的のためにあえて訴提起の手段に出たこと、あるいは自己に権利のないことを容易に知りうべき事情にあるのに、軽率、不十分な調査のままあえて訴提起に及んだことなどが立証されてはじめて、当該訴提起につき故意又は過失(前同様単なる過失で足りるものと解する。)があるものとして、提訴者に不法行為責任が認められるものと解するのが相当である。

右に述べた観点に立って本件をみるに、成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一ないし三(前件訴訟における証人平岡美弘、同中原フサノ、同平岡タメヨの各尋問調書、いずれも後記採用しない部分を除く。)、同号証の四(前件訴訟における証人笹井重蔵の尋問調書)、同号証の五、六(いずれも前件訴訟における被控訴人本人の尋問調書、後記採用しない部分を除く。)、乙第二号証の四、同第四号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第四号証(被控訴人・訴外笹井間の名古屋地方裁判所昭和五一年(ワ)第五一四号事件における被控訴人本人の尋問調書、後記採用しない部分を除く。)、同第五号証、原審証人笹井重蔵の証言及びこれによって成立の認められる乙第三号証、原審における証人中原フサノの証言及び被控訴人本人尋問の結果(いずれも後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、前件仮処分に対する異議申立事件及び前件訴訟における争点については、当裁判所も、右各事件においてなされた前記1記載の認定、判断と同一の認定、判断をすることができる(ただし、被控訴人方で、被控訴人らと訴外笹井との間で協議がなされ、被控訴人が訴外笹井に前記委任状を作成、交付した日は、昭和四八年一月三〇日でなく、同月二三日と認めるべきである。)。原審証人笹井重蔵の証言の一部には、「右一月二三日の協議の際には、負債整理を一任するということだけで、本件不動産の処分については明確な話は出ず、その後控訴人が駒ヶ根市に訴外久江の負債の調査に来た際に右処分を一任するという話が出た。」、「本件不動産は、自分が訴外時三郎から買受け、これを控訴人に転売したものである(前出甲第三号証の四にも同旨の供述部分がある。)。」とするなど右認定、判断とやや趣旨を異にする部分があるが、同証言は、これを全体としてみれば右認定、判断と何ら矛盾するものではなく、これにそうものとみるべきであって、右部分をもって右認定、判断を左右することはできないというべく、《証拠省略》中、右認定、判断にそわない部分は採用することができず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

ところで、被控訴人が自ら作成して訴外笹井に交付した前記委任状には、「上記の者(笹井重蔵)に平岡久江の資産及び負債について一任致します。但し、資産より負債を減じその残額資産を均等に上記笹井重蔵と相続人平岡時三郎とで別けるものとする。」と明記した上、相続人代理人として被控訴人の署名押印がなされているところ、被控訴人は、原審において、右委任状は、長時間深夜にわたって訴外笹井から負債の整理と遺産の処分を任せるよう迫られ、同訴外人が病臥している訴外時三郎を起こしてその押印を求めると言うので、病人の身体を慮り、やむをえず訴外笹井の口授するままに、その場逃れの方便として作成したものであり、これによって真実訴外笹井に訴外久江の遺産の処分を任せる意思のなかったことはもちろん、右委任状は自己の独断で作成したものでもあるから、法的に効力のないものと思っていたし、後日取り戻せばよいと考えていたという趣旨を供述し、前出甲第三号証の五、六、同第四号証にも同旨の供述記載がある。しかしながら、右各供述は、前出甲第三号証の一ないし三から明らかなように、右委任状作成時には同席していないが、その前の時点でなされた訴外笹井との長時間にわたる協議に被控訴人と共に参加していた訴外平岡美弘、同中原フサノ、同平岡タメヨが、前件訴訟において、右協議の結果、訴外笹井に訴外久江の負債の整理と遺産の処分を一任し、残余の資産を訴外時三郎と訴外笹井とで折半取得することで、被控訴人側一同が渋々ながら一応納得していた旨をそろって供述していること(原審証人中原フサノの証言の趣旨も必ずしも右と異なるものではない。)及び前出甲第三号証の四、原審証人笹井重蔵の証言に照らし、また、右委任状を交付した後、被控訴人が、機会がありながら訴外笹井に右委任状の返還ないし破棄を求めることもなく、かえって前記のとおり駒ヶ根市を訪れて訴外笹井と共に訴外久江の負債の明細を調査し、その際本件不動産の価格の見積りをし、更に訴外笹井に求められるままに本件不動産の登記手続に必要な書類を提供している事実(この点に関しても、被控訴人は、前件訴訟、本件及び前記名古屋地方裁判所係属事件を通じ、右書類は、訴外笹井から訴外久江の生命保険金等の受領のために必要であると言われ、そのために使用されるものと思って提供したと供述するが、にわかに措信し難い。)に照らし、到底措信し難いものといわざるをえない。

もっとも、《証拠省略》によれば、訴外笹井は、昭和四八年二月末頃控訴人に代金約四五〇万円にて本件不動産を売却したのであるが、訴外時三郎ないし被控訴人に対しその旨を全く報告しておらず、訴外久江の負債約金一五〇万円を弁済したあと、前記委任状に従って訴外時三郎に分配すべき余剰金が生じたはずであるにもかかわらず、その支払はもちろん、収支計算も明らかにしていないことが認められ、このようなことから被控訴人は、訴外笹井に対し強い不信の念を抱き、前記委任状の作成、交付の際、訴外笹井にやや強引な行動があったことも手伝って右委任状の効力がないものと思い込み、本件不動産を取り戻し、自らの利益を擁護したいと考え、前件仮処分の申請及び前件訴訟の提起に及んだものと推認され、その心情自体は理解できないことではない。しかし、右のような訴外笹井の不信行為は、同訴外人に対する責任追及の理由とはなりえても、前認定のとおり本件不動産につき処分権限を有する同訴外人との間に既に売買契約を締結した控訴人に対し、本件登記の抹消登記手続を求める理由とはなし難いことが明らかであり、そのことは被控訴人において相当の注意を払えばこれを知りえたものといわざるをえない。

してみると、被控訴人は、自ら訴外時三郎の代理人として、訴外笹井に対し、本件不動産の処分を一任し、登記手続に必要な書類を提供しておきながら、後にその事実を否定して前件仮処分を申請し、前件訴訟を提起したものとみるほかなく、右申請及び訴提起当時右に述べたような事情から前記委任状の効力がないものと信じていたとしても、被控訴人が前件仮処分の申請に及んだことに、先に述べた過失の推定を覆えすに足る相当の事由があったものと認めることのできないことは明らかであり、また前件訴訟の提起についても、自己に権利のないことを容易に知りうべき事情にあったのに、軽率にもあえて訴提起に及んだものとして、過失の責を免れないとせざるをえない。被控訴人が右申請及び訴提起に先立ち弁護士である被控訴代理人らに相談し、事件処理を委任していることは、上来説示の事実関係の下においては何ら右判断を左右するものではなく、他に右判断を左右するに足りる証拠はない。

3  以上によれば、被控訴人がした前件仮処分の申請及び前件訴訟の提起は、控訴人に対する不法行為を構成するものといわざるをえず、被控訴人は、これによって控訴人が被った損害を賠償すべき義務を負うものといわなければならない。

三  そこで、控訴人主張の損害について検討するに、《証拠省略》によれば、控訴人は、前件仮処分に対抗するためやむなく異議申立て及びその追行を弁護士である控訴代理人に委任し、更に被控訴人より前件訴訟を提起されたので、右同様控訴代理人に委任してこれに応訴し、勝訴判決確定後控訴代理人に対し、右両事件を通じての報酬として金五〇万円を支払ったこと、また、右両事件の着手金は、当初訴外笹井が金三〇万円を立替えて支払ったが、右判決確定後控訴人が訴外笹井にこれを返済していることが認められ、右認定に反する証拠はないところ、右両事件の事案の難易、係争物件たる本件不動産の価格(前叙のとおり控訴人はこれを約金四五〇万円で買受けている。)その他諸般の事情を斟酌すれば、前示不法行為と相当因果関係に立つ損害として被控訴人に請求できる右両事件の弁護士費用は金四〇万円と認めるのが相当である。

次に、控訴人が前件仮処分をうけ、前件訴訟を提起されたこと自体によって、またこれらに対抗して訴訟を追行しなければならなかったことによって精神的苦痛をうけたことは推認に難くないところ、上来説示の本件不動産をめぐる紛争の実情、被控訴人が前件仮処分を申請し、前件訴訟を提起するに至った経緯その他諸般の事情を勘案すれば、右精神的苦痛を慰謝するには、金一五万円をもって相当と認めるべきである。

四  以上の次第であって、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は、右三に認定した弁護士費用金四〇万円と慰謝料金一五万円との合計金五五万円及びこれに対する前示不法行為による損害発生の後であること明らかな昭和五〇年一二月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるものとしてこれを認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。よって、控訴人の本訴請求をすべて棄却した原判決は一部不当であるから、これを右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林信次 裁判官 滝田薫 河本誠之)

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